世の中カネである。
儚き夢とはカネに命運託す人の夢。にんべんに夢とは良く言ったもので人の業は金である。
カネ、金(きん)に踊らされ、翻弄する写真家がここに一人。
自分のことか、と思われるかもしれませんが、
あなたのことかも知れません。
ギャラリーでも広告でも売ることが目的であり、
撮った後も飯を食らわば売ることに尽きる。
ここに一つの妙案あり。
いっそふっきれてしまえば良い写真とはカネになるおまけ付き。
どうせ食うならばオマケでお小遣いといこうじゃないか。
どうせ、人間、カネになることしかやらないんだ、まぁいいじゃないか。
人助けなんて、写真には出来ません。人は人が助けるからであり、そんな事はふつうにやるものでしょう。
生き甲斐をもってやる事とは妙にカネにつながる。
生きること、生を見出すことと生産性のつながりでしょうか。
しかし人の業は生すらをカネで判断する。
やりようがないので、しょうがない。
業とはとても重たく、それはまるでニコンF3にモータードライブを装着させたかのようなものである。
銃口を向けるかのような重量感。
連射性。
業とはワガママを道理で無理矢理押し付ける反則業である。
人の業がニコンF3という名器を作ったように、
ワガママも伝説を残す良ききっかけになる。
しかしカールツァイス18mmという予測もつかぬ運命が待ち受けていた場合、
どうするべきか。
おれは、かせぐのか。。。?
泥沼のような混沌とした世界、
限りある資産のプールに飛び込み現実的なお値段$1500ほど余分に無駄に稼ぐ。
なぁに、それだけさ。
誰かの一ヶ月分の家賃が、消えてなくなって、俺がハッピーになるだけだ。
そう思うと無理にカネとは作れないものである。