Inside Singapore Magazine, #609 p.17. September 2012
一応、とりあえず「ジャングル」は雑誌に載るような事はちゃんとやっています。
うちの母親も、人様に見せても宜しいものを作れと仰っているので、民衆に支持されることをやっています。
紙面体というものは、とてもお金のかかるフィールドです。
お金がかかるから人様に見せれないものは見せません。
お金にならない事もできません。
しかし複雑な世の中でこういうものを作ると、アートとは利用されてしまうものです。
利用されながらも相手を利用することが主体となっていますが、それも複雑で、お金を持っている側にも悪い人や善い人がいるので、錯綜する思惑の中に漂うこととなります。
流木のような生活も悪くはないのですが、もっと主体性を持て、と最近は言われます。
主体性を持つ事とは、最終的には責任を持てということです。
こんなものですが世に与える影響という責任は実在するので、それも含めて終わり宜しければ人の目に当たる公の場に出させてくれる、ということです。
「アートなんて、あなた達含めて、お金持ちの人の目に当たればフリーク・ショウなんでしょう?」
美術館など国営の文化企業の設立に携わる会社のマーケティングの担当者にそうふっかけると「アハハ、そうそう」と複雑な答えが返ってきました。
人の価値なんてものがそんなもので変わるのも、人の心が淀(よど)んでいるせいか。
しかし元を正せばその淀みも元々は正しい事柄や事象、行動に価値を付けた人の所行です。